小さいが大きな316歩目

こんばんは。富田です。

それでは、本日も学びの時間です。

◯要約〜人違うことをやれ!〜

【必要なことは考えること】

「問題」だと思っているのは実は本質的なものではなく、単なる現象に過ぎない。現象の裏のもっと深いところまで掘り下げていかなければ「問題」は分からない。その問題のもっと深いところに真因があるのだ。真因を直さないと問題は収まることはないし、問題が収まらないければ現象は正せない。大切なのは「何が問題なのか」をひたすら考えることである。経営者たる者、有能なビジネスマンたる者は深く深く物事を考え、突き止めていくことが大切なのである。そうすることによってはじめて問題の本質を把握できる。私達は自分の頭で何が本当に問題なのかを考え、本質を掘り下げいって独自の解決方法を探っていく必要がある。「物なんか知っていても仕方ない。そんなもの知らなければ知っている人間に訊いたり、書物を調べたりすれば用は足りる。だが、考えることだけはそうはいかない。誰かに訊いても、どんな百科辞典を引いても自分が考えることは教えてくれない。自分でやる以外方法はない」。これは、私がハーバード大学に留学した時の教授の言葉だ。その時は、インチキ臭いと思ったが、今はこの言葉を仕事の依頼主に向かって口にしている。

◯ 3点集約

・「問題」だと思っていることは本当の「問題」ではない。深いところまで掘り下げなければ「問題」の本質を掴むことは出来ない。

・解決策を考え、実行することはそれほど、重要ではなく、「何が問題なのか」を考え続けることが大切。

・考える事に決まった「答え」はない。考えることは「自分」にしか出来ない。

◯ 所感

今の時代、もう「記憶力」「知識」教育の時代ではない。右向け右!で全員が右を向く教育ではこれからの時代を生き抜くことは出来ないのだろう。何故なら、人に従うことは出来ても、自分で「考える」ことが出来ないからだ。今、振り返れば、私の中学時代の学年主任は非常に先見的な考えをお持ちだったのかもしれない。今でも覚えているが、授業参観日の授業で「死刑制度は必要か?不要か?」というテーマでディベートを行った。私は「死刑制度は不要」のチームであったので、何故、不要なのかを、チームの皆と一緒に調べたり、議論しながら、相手チームが主張するであろう内容や質問されるであろうことに対しての問答集を作成しながら、「死刑制度」自体の理解を深めていくことが出来た。つまり、自分たちで「考えて」いたのである。今年で40歳を迎えるが、この時のディベートの様子を鮮明とまでは言わないが覚えている。社会に出れば「答え」がある問題などそんなに多くはなく、むしろ「答えのない」問題の方が圧倒的に多い。答えがないのであれば、「考えて」、答えを創り出すしかない。「考える」。人生の豊かさはどれだけ考えたかに比例するのかも知れない。