小さいが大きな221歩目

こんばんは。富田です。

本日は再び過去の振り返りを。社会人3〜6年は今振り返るとようやく社会人になり、仕事とは何か、会社とは何か、組織とは何かを真剣に考え始めて、自分になりに試行錯誤し、色々なことを学んだ時期だと思います。師匠からそれぞれの時期に「○○時代」という風にタイトルをつけるとすれば何?という問いかけがありましたので、そちらを考えていたいのですが、1〜3年目までは間違いなく「暗黒時代」です(笑)。初めて商品開発に携わった4年目はひたすらサンプルを作り続けたので「熱中時代」。5年目は基礎研究チームに戻り、再び商品開発チームに移った時であり自分の将来を自分なりに模索した時なので「模索時代」になると思います。前回のブログにも書きましたが、自分なりに、会社で生き残るには「技術営業」になると決めた時はこの「模索時代」にあたります。今、振り返ると、自分が「技術営業」になると役柄を設定してから、仕事が好転したように思えます。あとはやるだけと肚を括れたことで、色々と悩むことが少なくなり、行動の割合が増えたからかもしれません。この模索時代の1年後に、新たなブランドの発足メンバーとして再び商品開発を担当することになります。その時に、私が担当したのは、頭皮用の美容液です。その当時、頭皮に塗布するものと言ったら、育毛や発毛剤がメインだったのですが、頭皮もお顔の肌と一緒であり、頭皮と顔の皮膚は繋がっていることから、頭皮をケアすることで頭皮環境を整え、美しい髪を育てることはもちろんのこと、頭皮ケアでお顔のリフトアップにも繋がると考えて商品開発を行っていました。もちろん、当時は、今までにない剤形でしたので、試行錯誤しながら、こちらも100サンプル以上作り、ようやく製品化されたことを覚えています。製品化された後は、販売促進のため、その製品を作った研究員が営業の方と一緒にサロンに出向いて、プレゼンを実施するのが通例となっていました。もちろん社会人6年目の私も例外ではなく、サロンに出向きプレゼンを行うことになりました。当時の私はもちろん、このプレゼンは技術営業となる上で重要な仕事であると認識していたので、このプレゼンだけは先輩にも負けないという気構えで臨んだことを覚えています。結果どうなったか。初めて対応したサロンの美容師の方々からは「言っていることが分からない。分かりにくい。話し方が鼻につく。」などとのお叱りを受け、散々な結果となり、最終的に、私はそのサロンから講習NG、つまり出禁になりました。。この出来事は本当に悔しかったですね。なんで、あんなに頑張ったのにそんなことを言われなければならいのか。俺の何が分かりにくかったのか、これ以上分かりやすい説明はないだろうと!その美容師の方々に心の中で悪態をついていました。上手く行かなかった理由。皆さんは、もうお分かりですよね。そう、プレゼンの際に最も重要なこと、「相手に何を伝えたいか」という気持ちがなかったんですよね。どうやって上手く発表しようという気持ちが先行、いや、それしかなかったんです。そんな奴のプレゼンが上手く行く訳がありませんよね。実際、その後のプレゼンでもあまり上手くいった記憶がありません。それでも、私なりにプレゼン関連の書籍を読んだりし、学んだことを実戦に落とし込みを繰り返していました。しかし、最初があまりにも悪かったためか、その後、先輩に比べて私にプレゼンの依頼は来なくなり、そのまま、私はサロン訪問からフェードアウトいていきました。。この時、本当に情けなくて、本当に悔しかったことを覚えています。自分が見つけた役柄に必要なプレゼンというスキルで、且つ、自分なりに自信があったプレゼンをズタボロに言われたことが本当に悔しかったですね。しかし、今考えるとこの悔しい経験がなければ、人に理解してもらう資料の作り方、伝え方について本気で学ぼうとはしなかったと思います。チャレンジして上手く行かないことの方が、沢山の学びがあり、人として成長できるのかもしれませんね!