小さいが大きな154歩目

こんばんは。富田です。

世の中、「自己肯定感を高めよ!」という風潮が強くなっていると感じます。

私は今までずっと「自己肯定感」が周りに比べて自己肯定感が低い人間だと

思っていました。いや、今でも自分は自己肯定感の低い人間だと思っています。

この考え方は変えたくても中々、変えることが出来ません。

自己肯定感を高めたいがために、色々な著書を読みましたがイマイチ、

自分の腹落ちするものは無かったんですよね。

でも、この前の「リーダー自燃塾」での研修で私にとっては金言とも言えるお言葉を

「リーダー自燃塾」のOBから頂いたきました。

かなり自分の解釈が入っていますが、私は以下のように理解しました。

「そもそも、自己肯定感が高いとか低いとかそんなものさしは他人が決めることでは

ないし、自己肯定感が低いからといって悪いわけでは無い。自己肯定感が高いという

言葉を使うとすれば、それは周りと比べてではなく、過去の自分と比べた時に使う言

葉。」

はっ!としました。今まで、私は周りの人と比べて自己肯定感が低いということに、

コンプレックスを持っていたんですよね。自己肯定感が低いから、自分にも自信がな

く、周りの目を気にしていたんですね。しかも、質の悪いことに、自分の自己肯定感の

低さは幼少期の父親の教育のせいだと思っていたんです。

(幼少期の記憶では、ちょっとしたことで父親にいつも怒られいたため、

高校生までは、父親に怒られないように生活することが、良い子でいることが、

私にとっての仮面だったんです。。)

でもこれは、完全に他責(アウトサイドイン)の考え方であり、自身の成長になにも

繋がりません。誰かのせいにするのは本当に簡単なことです。でも、それでは前に進む

ことは出来ません。よくよく考えてみると父親が叱っていた内容の殆どは、人としての

マナーにあたる部分でした。テーブルに肘をついてご飯を食べない。失敗したら不貞腐

れずに目を見て謝る(不貞腐れた態度をとろうものなら、鉄拳制裁&外に出されてま

した笑)。人に対して思いやりの心を持つ。どれも「人」と関わりを持つ上で重要な

要素ですよね。それを最近までは、幼少期に怒られ過ぎたから何かするにも失敗したら

どうしようと考えてしま癖が出来てしまった。と考えていたんですよね。

自分で自分に暗示をかけていたんです。本当はそうではなく、父親は私が人との関係性

を持つ時に苦労しないように考えていたのだと思うと、まったく異なる感情が湧いて

きます。むしろ「ありがとう」という気持ちが湧いてきます。

解釈を変えることで、違った景色が見えてきます。

過去の自分と比べて自分を認めてあげることができればOKではないでしょうか。

辛くなるのは、他人と自分を比べるからなんですよね。そうではなく、比べるのは、

あくまでも過去の自分ですね。