小さいが大きな245歩目

こんばんは!富田です!

またまた、期間が空いてしまいました。。

核心に触れるとお膳立てをしていたのにすみません。。

また、今日から私の暗黒時代の振り返りを、

自己開示をしていきます!

何からいこうかな。。

そうだなぁ。。絵に描いたような裏切りから

振り返りましょうか。。

私は2019年9月に子会社のある部署の部長職と

して出向しました。

本社から与えられた最初のミッションはODMの新規顧客獲得と子会社の職場環境、雰囲気の改善でした。

言わば、今までしてきたことの延長+職場環境や雰囲気を改善するという未知の領域にも足を踏み込むことになったんたですよね。

この時私が思ったことは、良いか悪いか分かりませんが、子会社に骨を埋める。親会社には戻らない。親会社に戻るくらいなら会社を辞めるとの覚悟を持っていました。

そのくらいの覚悟がないと子会社の社員に、

「結局、腰掛けでまた直ぐに本社に戻るんでしょ。本社の言いたいことだけ言って結局、キツくなるのはこっちでしょ。」と思われると考えたからです。

だからこそ、出向したその日に、工場長に

「私は親会社に戻るつもりはありません。この会社に骨を埋める覚悟でやります。この会社を2年で変えることが出来なければ私はこの会社を辞めるつもりです。」と伝えたんですよね。何故か、その時は本当にそのくらいの覚悟がなければ此処ではやっていけないと直感で思ったのを覚えています。

 

まずは社員の皆さんとコミュニケーションを取って社員の皆さんを知ることから始めることにしました。また、最初の1ヶ月は仕事の流れややり方を覚えることに集中しました。

この時、私はこの子会社のA元部長に色々と会社のこと、仕事のことを教えていただきました。

そう。。皆さんお気づきかも知れませんが、このAさんは私が部長職で出向したが為に主席という形の降格となっていました。

結果、この方Aさんは子会社の社員から慕われていたので私に対する風当たりは厳しかったんですよね。

(後々、慕われていた訳ではないことが分かるのですがそれは追々お話します。)

それでも、Aさんは私に対して「一緒に頑張っていきましょう。私がサポート出来ることはやりますので。分からなければ何でも聞いてください。」と優しく仰ってくれていたので、私も事あるごとに聞いては、やってみてを繰り返していました。私としては、良好な関係を築けていたと思っていました。

が、結果としてそれは私の勘違いでした。

私が出向してから2ヶ月後。

そう、Aさんは会社を突如退職します。

更に、辞めると言ってからわずか1ヶ月に。

しかも20年以上働いていた会社の色々なことの引き続きを私に一切せずに。。

まさに青天の霹靂。。

ここから私の怒涛の2年間がスタートします。

これ、1週間じゃ足りないな笑

Aさんが退職するまでのお話はまた明日!

 

人に期待したり、信じたりすると自分の思っていた時と結果が違うとそのギャップに戸惑うから負の感情が生まれる。期待してるよ!と相手に伝えるのは相手によっては呪いの言葉になるのかもしれない。